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祈り

2011年2月28日 admin

NZの大地震で沢山の希望を持った留学生の無事がまだ未確認なのは

本当に心が痛い。同じ海外留学を経験をしたことある身としては

なんだか人事には思えない。まして人の親となった今、家族の不安な気持ちを

思うと本当にやりきれない。

留学をする日本人が少なくなっている昨今、自分の希望や夢を胸に

異国に行くというのは日本の希望でもあるように思えます。

また彼女彼らは家族の希望であったのではないかと。

年々、海外で勉強するという志が人が減っている日本・・・。

やはり、苦しいことは嫌なのでしょうか?

今回の不明の者の大体が女性、草食系男子が多い日本を象徴しているようにも。

本当に心から無事を祈るばかりです。

 

このニュースを見ていたらなんだか昔の記憶が走馬灯のように甦ってきた。

私が2度目に渡航した場所はLA。私が住む数年前にLA大地震があったまさにその震源地。

アメリカの不況と重なって、まだまだ廃墟が多く決して安全と言える町ではなかった。

ただ、大学のある町だったので比較的安全?くらいの知識だった。

親からの援助もなく、家出同然(笑)で旅立ったのだから生き抜かないといけないぐらいの

感じだった。そして私が通っていた学校は、地元の人が通う職業訓練学校。

この学校、移民してきた人を教育するところで、授業料が信じられないほど安く、

色々なことが学べるところ。高校を中退したひとが高校の卒業証明がとれたり、

家具の直し方、飛行機の整備と運転、銀行の会計の知識、コンピュータの使い方、

絵画、もちろん英会話の授業・・・。英会話の授業以外はスペイン語と2カ国OKの

クラスがあったりと、徹底的に移民の人用の学校。

もちろんヒスパニック系が多いエリア=危険がいっぱいのところ。

そんなところにバスで通い、クラスメートはみんなギャング?って感じ(笑)の中、

半年間、英語とコンピュータのクラスを取った。

たった一人の日本人で、壁には落書き、金網には鉄の痛いやつが張り巡らされ、

インパラやボロボロの車がヒップホップの大ボリュームで入ってくる。

今思うと、ムリムリ・・・・って思う学校。

始めは「誰??」みたいだったけど、偶然英会話の先生が日本人の奥様がいたことがある方

(1度目が日本人で2度目もあり、その後1人)で、めちゃめちゃかわいがってくれて

すごく楽しかった。そして世界には色々な人がいると思えた経験だった。

ギャングの抗争での流れ弾で、杖のない生活が出来なくなったメキシカンの子。

朝早くカフェテリアでニコニコでコーヒーを奢ってくれたコスタリカ人の彼は、実は一睡もしないで

空港の仕事の後に学校に来てたっけ、「もっと飛行機の知識を深めたいんだ」

授業中、おかしなことを言って場を和ませてくれたメキシカンの叔母さんは、命からがらメキシコから移民してきたけどダンナが働かなくて、子供を抱えながら安い賃金のバイトの合間に英語のブラシュアップと銀行で働けるように会計の勉強してたり。

あまり話さないベトナム人のおじいさんは、ベトナム戦争の難民で今だに英語の勉強は嫌いって。

冗談ばかり言ってるメキシコ人のふとっちょの彼は、絶対ハリウッドでデビューすると息巻いてたな。

世界はここだけではなく、色々なところで苦しみ楽しみ生きてる人がいると痛感。

彼らは、どこかで生き抜いているのだろうかとふと思う時があります。

 

この話には余談があり・・・。

実は数年前、この学校に行ったの。

まったくもって昔の面影もない学校。ペンキは塗り替えられ、鉄の痛いのはないし、

駐車場にはレクサスやベンツの姿も!なにこれ~~。

ただ英語の先生はそのまま今も教えていた。

彼は60歳を過ぎ、今だに先生。短大の夜学で教えていたこともあり

学校に来ている子から優秀な子に「夜学の短大で勉強するように」と勧めてたっけ。

相変わらず、色々な国の子達の架け橋になってるようだった。

半年だけ教わった私のことは覚えてはなかったけど(だってウン十年前だしね)

「君といる家族は絶対幸せだと思うよ」と昔言ってくれた同じ言葉を。

日々のバイトと留学できるかどうか不安だったあの頃、深夜にみたアメリカズカップに

勇気付けられながらの日々。

私の留学は間違ってなかったと思った瞬間。

 

救出中に足を切断された方、まだまだ精神的にダメージがある方。

どうか早く元気になられますように。

どうか希望をもった人たちが1人でも多く助かりますように。